2016年3月30日水曜日

脱iPhoneまでの道のり




iPhone止めましたっ。

そもそもは、iPhone見過ぎで、一日見てるぞ、と。
フリーランスで家にいるとほんとに一日中見てしまえる。
これは身体にいい訳がない、と思いつつも見るのを止められずにいました。
(完全に依存!)

そこへ来て、去年の夏にムチ打ちをやってしまって首がめちゃ痛かったんですね。
これは、iPhone見てばっかり状態を脱さないと余計にまずいという危機感がありました。
(スマホずーっと見てる状態ってすごく首に負担かかってるよねたぶん・・)

調べたら、私、2009年6月からiPhoneユーザーで、
もう6年10か月も使ってるんですよ!!
台数はのべ3台かな。
それをずっと見続けてたらどんだけ身体に悪かろう・・・。ゾッ。

それで、まずは見ちゃう要因と思われるfbとtwitter、インスタの
アカウントを削除してスパっと止めました。

でも、止めるべきはSNSじゃなかったのかも・・・というくらい、
今度はブログとか何やかやを見ちゃうんです、結局!

ちなみにその頃のネット環境は、
Ymobileのpocket-wifiのみ。


*こういうやつです。

これで家でも外出先でもネットを繋いでいたんですが、
四万十に引っ越したら思い切り圏外で笑。
なので引越しを機に解約し、家には
新たに地元ケーブルTV局のネット回線を引きました。

で、いまの生活は家にいる時間が長いので、
家のネットとiPhone 、重複してネット契約をしてるのは
もったいない、ということで、
iPhone の回線契約を止めて、
ガラケーにチェンジ。
iPhone は家に引いてるwifiで使えるので。


そしたら下のような料金になりました笑
3月から下がりすぎィ!笑
+家のネット代がかかりますが、それでも断然お得。半額くらい。



東京にいた頃は取材とかで外にいる時間も長かったので
pocket wifi+iPhoneが手放せなかったんですが、
生活スタイルが変わって、
そこまで常に繋がってなくても大丈夫になりました。
なんとかなるし、時おり感じる不自由もまた楽しい。

また必要になったら格安SIMとかのスマホに移行するかもしれませんが
今のところ回線契約なしのiPhoneとガラケーで十分な感じです◎


で。
最近はiPhoneは電源を切って、
写真を撮る時だけ使う感じになっています。あと、ライト笑。田舎では必須!
LINEもPCでやります。

iPhoneの電源を切ったことのいちばん大きい恩恵は、

驚くくらい本を読む時間ができました。イエイ。

身体も伸び伸びしてる気がしますよー。

なんか最近本が読めてないなって人、
頭痛がする人、首や目が不調な人。脱スマホ、激しくおすすめです◎


***
ちなみに、iPhoneを止めてガラケーにするにあたって、
格安SIMスマホについてのブログをやっている友人(元ケータイショップ店員)に相談しました。

私は結局、格安SIMじゃなくてガラケーにしましたが、
(2年縛りまだあるし、wifiが飛んでる環境にいることが多いので)

格安SIMにしたいけど、いろいろありすぎてよく分かんないよぉ! という人は
ぜひどうぞ。⇒ふじさわブログ
(ガッツリ聞きたいって人には、有料で個別コンサルもやってるってよ)

関係ないけど、上記のブログの
ダイエット実録記事もおもしろいよー。
体重●kg、とか体脂肪率●%、とか、
具体的な結果を決めて、
そこに向けて適切な行動を取り、不適切な行動は排除して
結果を引き寄せていく。

そんな風に行動(および非行動)できるところまで含めて、
頭がいい人だな~と思います。

頭のよさは行動力、と言い切るのは、
うぬぼれ屋さんの耕ニくん(『東京タワー』)だったっけね。


昔から成績はよかったし、国立大学にもあっさり入ったが、問題はそういうことじゃない。
 「自分のことは自分で決めなさい」
 耕ニは 父親に、そう言われて育った。 
「決めたら、行動で示しなさい」 
とも。
頭のよさというのはつまり、行動能力だ。耕ニはそう思っている。 

    『東京タワー』江國香織著 より



2016年3月28日月曜日

ミントで〈ハーブ酵素スプレー〉を作ったよ




友だちから素敵な本を借りました。
その名も「魔女のレシピ」!!




そこに載っていた「ハーブ酵素スプレー」を作ってみました。

家の前に生えていたミントをペットボトルに入れて、
水と砂糖を入れてシェイク。



一日一回よく振って、1週間くらいで「シュワーっ」となったらできあがり。
水分だけをスプレー容器に移して、掃除や消臭に使えるそうです。

家のトイレは簡易水洗なので、消臭にシュッシュと使っています。
酵素の力で排水の分解も早まるのだとか。
香りがいいし、身の回りのものでかんたんに作れるのがいいよね。

田舎に引っ越してきて、少しずついろいろ手づくりするようになって楽しいです。
今は2月に仕込んだ味噌を秋に開けるのが楽しみ。
梅の季節になったら梅干しとか梅の酵素シロップも仕込みたいなー。


参考:果物やハーブの酵素シロップの作り方はこちらにイロイロ載っていました。
じっくり時間をかけて作ろう!酵素シロップの作り方とアレンジレシピ|

2016年3月27日日曜日

彼氏の話を聞くのを止めたお話



四万十の田舎で彼氏と暮らし始めたのですが。

普段はなかよしの彼と、時おり会話が噛み合わないことがあって、
そのことで私はずっとイライラを抱えていました。

じゃ、なんで一緒にいるのだろう?って何度自問したことか。

で、最近、心屋仁之助さんがブログでされている「前者」「後者」論。

これを読むにつけ、現在の彼と私の関係は、まさに「前者」と「後者」なのだと思い当たりました。

社会は「前者社会」だから
「後者が生きにくい」わけです。
後者は「前者ではない人」という
カテゴリーに入れられてしまい、
「症状」「病名」「ダメな人」というレッテルを張られがち。
学校の教育も「前者にするためのモノ」
であったりするわけです。
★これが前者だ|心屋仁之助オフィシャルブログより引用


従来の学校教育で量産されてきた、そつなくいろいろできる人が「前者」。
そこからはみ出す人が「後者」ということかと思います。たぶん。

詳しくはコチラの記事:
■【最重要記事】ひさしぶりに「前者・後者」の話。やっぱり、この話は世界を救うから|心屋仁之助オフィシャルブログ

どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、
単に違うというそれだけ。
その差異の説明として「前者」「後者」が使われています。

で、私はどちらなのかといえば、
「前者」の時もあれば「後者」の時もある。みんなきっとそう。

だけど、彼との関係においては、
完全に私が「前者」、彼が「後者」。

*アウトドアとか、彼のホーム分野においては彼が「前者」、私が「後者」に入れ替わりますが。

*追記: 入れ替わることはないんだそうなーーー!!
■【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ? | 心屋仁之助オフィシャルブログ



で、私が「前者」=「社会的に正しい」という視点に立ちがちなので、
どうにか彼を正そう、正そうとしていて。
(こうなっちゃうと、彼のいいところが見えなくなってしまうのがツライ・・)
「コミュニケーションっていうのはなぁ!」みたいな。


*チッチ「こうするんだ!」 アオ「やめてー」

私がいちばんイヤだったのは、
彼が話の途中でふらっとどこかへ行ってしまうこと。(猫なの?)

話の途中(と私は思っている)で、いきなりお風呂行っちゃったりするの。

ありえない!! と私は傷ついたし怒っていました。

でも、彼にそのことをぶつけても「あれ、途中だったんだ・・」みたいな調子で、悪意0%。
怒りのぶつけようもないというか。


で、昨日またそういう堂々巡りになって、
私が
「あのさ、話はちゃんと聞こうよ。分らなかったり知らないことは『うん、うん』って聞き流さないで
ちゃんと質問しようよ」
とか切々と訴えていたんですよね。
ムダだと分かってても言わずにはおれなくて(この未熟者ッ)。

でも、いつもながら彼には響かなくて
「うーん。僕にはそれはできないなぁ」
みたいな。
なんか、まったく違う軸で生きてるし、会話というものの意味合いも違うというか、
そもそも言葉を重視していないというか・・。


で、堂々巡りに疲れた私はそこで、決めました。(「諦めました」のが正しいかも笑)


「私もあなたの話聞くの止める!」


え?


文字にすると「え?」て感じだけど。

これからは、彼を見習って、

聞きたい時だけ聞いて、聞きたくない時は聞かないし、
途中でふらっとどこかに行ってもいい。

そういうことにしたのです。


「人の話はきちんと聞きましょう」ってたぶん幼稚園とかから教えられてきたよね。
で、私はそれを忠実に守ってきました。
その分、誰かが私の話をきちんと聞かなかったら、怒ってた。
だって「人の話はきちんと聞く」のが正しいから、
それを守らない人は怒られたり、罰されて当然。

そういう図式がいつの間にか自分のなかに強固に形作られていて。


でも、当たり前だけど、
別に聞きたくないなら、聞く必要はまったくなくて。
途中で席を立ったり、どこかへ行くのだって自由。
(自分だって途中で絵本読んだりしてるやん←前回の記事)

その自由を自分に許可したら、すごーくラクになって。
彼にも怒りが湧かなくなったというお話。オー、イエー。


人の話はちゃんと聞きましょう、の前に。
聞きたいか、聞きたくないか、自分の気持ちを、ちゃんと大切にしましょう。ってことだよね。


要らない風潮、常識ってほんとうにいっぱいある。
いくら疑っても疑い過ぎはないというくらい。
そのルールや常識は自分を、自分の大切な人を心地よくするのか?
何かうまくいかないというサインが出ていたら、
自分のなかをいつでも疑う姿勢でいよー、て改めて。


*なかよくしよー。

2016年3月26日土曜日

「かわいいと思われないと死ぬ」病が寛解しました




日本はkawaii/カワイイ大国ですが。

…すみません、お久しぶりですが移住と全然関係ないこと書いてもいいですか?

*移住についてはコチラに詳しく書きましたので読んでね。
(1)おひとりさま、生まれ育った街から新たな居場所へ -えぇ、東京で消耗していました 

(2)おひとりさま、背水の陣で新たな居場所へ(2)-高知で恋に落ちました 

(3)おひとりさま、高知で居場所探しに奔走(3)-「沢マン」で始めた2段階移住

(4)おひとりさま、日本最後の清流
の地・四万十へ(最終回)-ついでにおひとりさまも卒業?



私、長い間、人から「かわいいと思われないと死ぬ」って思ってたんですよね。無意識に。


*チッチ「かわいいとは・・?」

「かわいい」と一言で言ってもそれにはいろんなニュアンスがありますが、
読んで字のごとく「愛す可き(愛すべき)」=「可愛い」、
つまり「愛されたい」というか「守られたい」が強くて、
そのためにはかわいらしい、ちょっと弱い目の自分でいなければダメだと思っていたのでした。

リラックマ(かわいい)のお面被ってる素顔は般若(必死)ですよ。


で、そのことを意識したのは20代後半だったでしょうか。

親しい人に「よく人の下に入ろうとするよね」みたいなことを言われたのがきっかけでした。
その時の印象は「よく分からない…けどモヤモヤする」というもの。
「よく分からない」のは無意識だから。
そして「モヤモヤする」のは図星だからだよっ!!(今の私よりあの時の自分へ)

(ちなみにその指摘をしてくれた人は悪意ゼロ/100%愛の意図で言ってくれたのが伝わってきたので
 イヤな気持ちは全く感じませんでした)

またしばらく経ってからも、年上の友人から「かわいくあろうとしなくていいのに」的なことを言われて。
この時はもう少し「かわいくあろうとしている」自分を感じられたし、それは止めたいな、と思ったものの
「かわいくあろうとする」自分が発動してしまう時は無意識なので
やはり「かゆいような気がするけど手が届かない~」という感じで。


いくら人から言われても、そしてそれが的を得ていると思っても、
本当の意味で自覚しないと人って変われないんですよね。


で、話は最近に飛びます。*ここからやっと話が移住に関係するよ!!笑
高知に引越して、変化したことは多々あるのですが、
最近、私「かわいい度」大幅に下がりました!! ヤッター!
正確に言えば「かわいいと思われたい度」ですね。

この間、都会から高知に移住したいという女性にお会いしたんですよ。
で、その人がなんというかすごく慎重で。

「移住まで1年スパンで計画を立てている」
「でも会社の状況が変わったので1年では辞められないかも」
「会社の様子を見て…」「仕事を創れるようになってから…」「貯金が○○円になってから…」

終始、そういう姿勢。

それに対して、
かつての「かわいいと思われないと死ぬ」設定の私だったら、
「わー慎重ですね!(それは素晴しいことです、というニュアンスで)」
「うんうん、会社辞めるのって大変ですよね!」
「迷惑かける訳にいきませんものね」ってな返答をしていたと思います。

でも、実際の私がした返答は。
「わー慎重ですね!(明日死ぬかもしれんのに…というニュアンスで)」
「様子見てたら会社なんて一生辞められないよ」
「貯金!? 高知に来るのに貯金なんていらないよ(私は実際貯金ゼロ円でやって来ました)

で、その後もその人は小一時間ずーっと話し続けてたので
私は飽きてそのお店にあった絵本読んでました。(他にも同席者はいたよ、念のため笑)

・・・なんていうか失礼極まりない。笑
「かわいい」とか「愛される」「好かれる」至上主義時代の私が見たら卒倒するであろう。


でもね、言い訳じゃないけど、高知の女性って強くて格好いい人が多いんです。
「はちきん」とはよく言ったもので。

「はちきん」とは?

大好きなはちきんズに囲まれて過す日々で、
いつの間にか私の「かわいいと思われないと死ぬ」病はかなり寛解していたのです。

だって本当はそこまで守ってもらわなくても、大丈夫だもんね。もうイイ大人だし。
堂々と自分の本音を言える方が気持ちがいいよ。
強いて言えば、(かつての)同じ病の人とはもしかしてコミュニケーションに齟齬が出るかもしれないけど、致し方なし。
(そして日本には同じ病の人がゴマンといると思うけど)

これを読んで「怖い」と思う人もいるかも知れない。
かつての自分だったら間違いなくそう思う。

でもね、はちきんズは「かわいい病(略称)」の人よりその実、優しい気がする。
いやいや、「かわいい病」の人たちはすごーく優しいですよ。
それはなんていうか、シュガーコーティングみたいな優しさ。
「素の自分には価値がない」とか「いい人でいないと嫌われる」という怖れや心配、不安などを
色とりどりの過剰な甘さのお砂糖(優しさ)でくるんでいるのだと思う。というか、私はそうだった。

でも、「かわいいと思われたい」を脱して素のままで生きてる女性(likeはちきんズ)は、
もっとしなやかさとか強さに裏打ちされた、優しさを持っていて。
そちらの方が私の心身には沁み渡るし、滋養があるなーって思うのです。
かわいらしさを脱することで、優しさと、ひいては女性らしさは深まるんだなぁ。
そして人間的な、自然なかわいさが醸成されていくのかも。


***
「かわいいと思われたい」病から多少、自由になっても
「頭いいと思われたい」「優しいと思われたい」と次々病はエンドレスだと思いますが。

それでも、「裸の自分に出会ってみたい」「心をもっと自由にしたい」は人生の大事な指針のひとつなのでした。